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白と黒、緻密さとユルさ。<br>エッジのきいたコントラストに<br>魅せられて
川島いずみ 前編

白と黒、緻密さとユルさ。
エッジのきいたコントラストに
魅せられて

陶芸作家

川島いずみさんインタビュー【前編】

Interview with Izumi KAWASHIMA

中国・磁州窯の代表的な技法である「掻き落とし」をベースに、魅力的なやきものを生み出している川島いずみさん。白と黒のコントラストが織りなす美麗なうつわをつくる一方で、ナゾの生きものをモチーフにしたものや、人間の微妙すぎる表情を切り取ったものなど、思わずくすっと笑ってしまう作品も。緻密さとユルさの両方を愛する川島さんに、陶芸家としての歩みについて伺いました。


text・photo/Masami INOSE

川島いずみさん経歴

1979年 埼玉県生まれ
1997年 伊奈学園総合高等学校 芸術・工芸学系卒業
2002年 文化学院芸術専門学校 陶磁科卒業
2003年 栃木県真岡市にて独立
2004年 朝日陶芸展入選
2007年 埼玉県さいたま市に活動の場を移す
2002年〜2004年、2006年、2008年 東日本伝統工芸展入選


「これだったら私もできそうだ」って

— まずは陶芸との出会いから。幼少の頃から手先は器用だったのですか。

川島 小さい頃から折り紙やブロック、粘土など、とにかく手を動かして何かを作ることが好きでしたね。絵も好きで、小学生の頃から近所の絵画教室に通っていたんですが、中学に入って違うこともやってみたくなって。

ちょうどその頃、家のポストに届いた市報の中に、陶芸作家の伊東祐一先生がやっている陶芸教室の案内が入っていて、それを見て通い始めたんです。伊東先生には厳しいことは一切言われず、陶芸の基礎をいちから優しく教えていただいて。楽しかったですね。

— 中学生で陶芸教室に通っている子って当時でも珍しかったでしょうね。その後は?

川島 高校は、伊東先生の勧めもあって伊奈学園(*1)に進んだんです。私は芸術・工芸学系だったので、金工、木工、陶芸を一通り学びました。石膏デッサンもたくさんやりましたよ。卒業後も陶芸の道に進みたくて、国公立の芸術大学を目指したんですが、まあダメで。別の陶芸ができるところを探していたら、家から通える距離に文化学院(*2)があることを知って「ここすごいイイじゃん!」って。

*1…伊奈学園総合高等学校。総合選択制を導入している高校で、人文、理数、語学、スポーツ、芸術などの学系に分かれて専門的に学ぶことができる。

*2…文化学院芸術専門学校。埼玉県春日部市にあった芸術系の専門学校。2008年閉校。

— 専門学校では、中国の磁州窯(じしゅうよう)のやきものとの出会いがあったんですよね。磁州窯や、その代表的な技法である掻き落(かきお)としは、川島さんのうつわに欠かせない重要な要素だと思うので、その時の出会いって、もう運命的なものだったのかなと。

川島 そうですね。文化学院で磁州窯の白黒のやきものや掻き落としについて初めて知って、在学中3年間はずっとそれを学んでいましたし、今も当時習った技法で作り続けていますしね。

— 磁州窯のやきものに初めて出会った時の衝撃って覚えてますか?

川島 はい。実物を見たわけではなくて、文化学院に資料として磁州窯の本が置いてありまして、それを見たのが最初だったんですけれども。あの、わりと、日本にはない、ひどいというか、ヘタウマというか……。

— (笑)え? 中国のやきものって、そんな感じでしたっけ……?

川島 日本に渡来してきている中国のやきものって、ほとんどが「お殿様向け」につくられているので完璧で美しくてきらびやかなものが多いんですが、磁州窯は「民衆向け」のやきものなので。そもそも磁州窯っていうのは特定の窯のことではなくて、中国の磁県とその周辺に広がる窯業地一帯のことなんですよ。そこでつくられた大量のやきものを日本ではひとくくりに「磁州窯」と呼んでいる。本当は「中国の民衆雑器」と言ってしまってもいいくらい大雑把なくくりなんです。だから、ユルいものはもう相当ユルい。形はグダグダだし絵付けも適当。

— (笑)。具体的にはどんな絵だったんですか。

川島 中国の人ってとにかくラッキーアイコンが大好きなんです。金運アップの鳥や、子孫繁栄の動物といった ”幸運を運んでくる絵”が、「とにかく自分のセンスで表現できりゃいい」って感じでやきものにテキトーに描かれている。なんでやねん!ってものばかり。

— 想像するだにユルそうですね。えっ、じゃあ川島さんが磁州窯にはまったきっかけって、きれいだからとかではなくて、そういうユルさに惹かれたからなんですか?

川島 そうですね。(キッパリ)

— そうなんですか……!

川島 はい。あの、私が中学時代に陶芸を教わった伊東先生っていうのは、ビシーッとした”ザ・アカデミック”という感じの、端正な青磁を作っている方だったんですね。だから私も、中国陶器に対してカチーンとしたイメージを持っていたんです。それが、専門学校で磁州窯の本を見たところ、「あー、グダグダだ」って。「これだったら私もできそうだ」って。

— (爆笑)。見てみたいです、その本。

川島 探せばあると思いますよ。

— 磁州窯のうつわは、そうやってものによってクオリティの差はあっても、「掻き落とし」や「白黒」という特徴はすべてに共通しているんですか。

川島 それも時代によって変わるんです。よく知られているのは白黒の掻き落としですけど、掻き落とさずに絵付けだけのものや、色を使っているものもあります。磁州窯のやきものは10世紀の中頃から続く長い歴史の中でいろんな手法が生まれたので、これという決まった伝統があるわけではないんです。時代によって流行り廃りもありますし、完成度も時代によってまちまちで、ビシッとしたものをつくっていた時代もあれば、グズグズな感じの時代もある。

— その触れ幅の大きさに、川島さんはグッときちゃったと。

川島 そうですね。

— 意外。私は川島さんというと、やっぱり、唐草や花を緻密に描き込んだ磁州窯のうつわ、というイメージが強いんです。なので、ユルさに面白みを感じたというのはまったくの予想外でした。あぁ、でも、川島さんもたまにユルいものやエッジのきいた作品をつくっていらっしゃいますもんね。あれはわりと本質に近いというか、そういうことなんですね。


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